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  • 執筆者の写真Kanako

アンコンシャス・バイアスについて

更新日:2022年5月27日

9月16日~20日の日程で開催された第85回日本植物学会の大会3日目に、ダイバーシティ推進委員会が主催するランチョンセミナー「知って活かそう、アンコンシャス・バイアス」にパネリストとして参加しました。

参加するまでの過程でこれまであまり意識したことのないアンコンシャス・バイアスについて考えたので、そのことについてブログにまとめようと思います。


「アンコンシャス・バイアス」とは日本語では「無意識の偏見」と訳されます。生まれ育った環境や成長過程で、読んだり聞いたり見たりして自然に脳に刻み込まれた先入観、潜在的な既成概念、固定観念のことを指します。 もう少し簡単にいうと誰かと接するときに、自分のこれまでの経験に照らし合わせて、「この人は○○だからこう」「ふつう○○だからこう」というようにラベル付を行うことです。ただそれは意識したものではなく、あらゆるものを「自分なりに解釈する」という脳の機能によって引き起こされます。

人間の成長とは、大胆に解釈すれば「あらゆるものにラベル付をすること」と言えます。物事を知らない赤ん坊は、目の前にあるものが母とよばれるものであることを知り、スプーンとは違うものであるということを学びます。外部からとてもたくさんの情報が入ってきますが、年を重ねるにつれてより複雑な物事についても対処できるようになります。そうできるようになるのは「これは母、これはスプーン」と意識せずに(1秒とかからずに)判断するということを1日の内に何万回とこなしているからで、実際人間の脳は1秒間に1100万ビットの情報を処理していると言われています。 そのような無意識下での判断は、社会生活を送る上で必要不可欠なショートカットの役割を果たします。「無意識の偏見」はこのショートカットに含まれます。


そのような重要な仕組みが、なぜ今問題視されているのか?

それは上記した無意識下での判断が相手にとって不利に働くケースがあることが明らかとなってきたからです。

例えばお茶出しは女性がやるもの、雑用や飲み会の幹事は若手の仕事、定時で帰る社員はやる気がないと思う、などです(参照ページから引用)。このような判断により、例えば女性の仕事の時間を奪ってしまったり、仕事はこなしているにもかかわらず定時で帰る人には低い評価がついたりすれば、キャリアや収入に悪影響が出ます。このような例はどこにでもあって、学術界も例外ではありません。そこで日本植物学会のダイバーシティ推進委員会は、まずマチ・ディルワース先生(元OIST副学長)に「アンコンシャス・バイアスとは何か」という概説をしていただき、4人のパネリストにこれまでに経験したアンコンシャスバイアスを話してもらうという本企画を考えた、とのことでした。


パネリスト登壇にあたって、ご自身の経験を通じた具体例をいくつか考えてきてくださいとの宿題が出たので、私が実際に感じた「アンコンシャス・バイアス」を思い出してみました。またそれがマイナスに働くのはどのような時か、マイナスにならないようにするにはどうしたらいいかについても考えたので、合わせて以下に記します。

・シャイな日本人、英語下手なアジア人(国籍に潜むアンコンシャス・バイアス)

アメリカにいた時、日本人でない友人から「奏子は日本人ぽくないね」と言われました。それは彼/彼女にとって「日本人とはシャイだ」という思い込みがあったからだと思います。私はそのイメージを崩す存在に映ったのでしょう。また、見た目はアジア人なのに英語の発音がきれいな人がいると、私は「お、彼/彼女はアメリカで生まれ育ったのかな?」と余計な邪推をしたことがあります。これは私の中に「アジア人は英語の発音がうまくない」という思い込みがあったのだと思います。このような思い込みがマイナスに働く状況は、例えばアジア人の見た目だと全然話を聞いてもらえない、などがあります。「アクセント・バイアス」にも関係してくるのですが、『こいつはアジア人だから何言ってるかわかりにくいんだろうな』と思いこんでしまい、うまく聞き取れない(実際にはちゃんと発音しているのに)ということが起きるようです(私自身はアジア人なのでこのような状況にはなっていませんが、ネイティブの方にはあるという記事を読んだことがあります)。また、国籍だけでなく服装や容姿から、だらしない格好の人の意見は聞かない(実際には建設的な良い意見を述べているのに)などもありそうです。このような事態を阻止するには、外見で判断せずどの人の話も真摯に聞くというのが解決策になるかと思います。


・保育園のママ友は研究の話なんて興味がないだろう(職業に潜むアンコンシャス・バイアス)

息子は認可保育園に通っているため、その友人の保護者の方々の職業は様々です(娘は大学内の保育園のため、保護者はほぼ大学関係者)。育休中、息子を迎えにいったあと近所の公園で遊んでいると息子と同じクラスの子とそのお母さんと一緒になったりするのですが、そういった時に仕事や研究の話は出しづらかったりします。「大学で研究しているなんていうと高学歴な雰囲気を出して嫌がられないか」とか「研究の話なんて興味ないだろうな」という思い込みが私の中にあったからです。けれど何かの拍子にポロっと自分の研究の話をすると「え、それってどういうものなんですか?」と興味津々に質問してくれる方もいました。つまり、私の中の思い込みが他の保護者の方に対して自分の研究をわかりやすく伝えるという機会の喪失につながっていたのです。それからは積極的にというわけではありませんが、自分が研究をしていることを小出しにし、相手が興味を持ってくれそうなら簡単に伝える練習をしたりしています。


・夫婦離れて暮らしているという話をすると、たいてい夫が単身赴任だという前提で話が進む(性別に潜むアンコンシャス・バイアス)

私が東北大、夫が名古屋大、という話をすると以下のようなやり取りがあったりします。

相手 「じゃあお子さん一人で見るの大変でしょう」
私  「まあ(夫は)大変だと思います。でも(夫の)両親もいますから。」
相手 「旦那さんはどのくらいの頻度で帰ってくるんですか?」
私  「?夫はあまりこちらに来ないで、私が月に1度程度名古屋に行きます。」
相手 「え?子供さんも連れて行き来されるの大変じゃないですか?」
私  「??私が単身赴任なのでそんなに大変じゃないですよ。」
相手 「あ、奥様が単身赴任なんですね…!

という感じ。これはまだ子供が一人しかいなかった時の話ですが、話す人のほぼ全員が私が子供を連れているという前提で話をされていました。女性が子供の面倒を見るもの、というアンコンシャス・バイアスが浸透しているように感じます。これがマイナスに働く場面としては、家庭に関する説明がややこしくて本題に入るまでの時間が長くそれ以降に話そうとしていた話を短くせざるを得ないったことがあります。マイナスにならないよう働きかけるとしたら、まず「夫が子供と暮らしていて、私は単身赴任」と簡潔に伝え、今どきは女性進出や家族の形も新しいものに変わりつつあるんだということをさらっと説明することかなぁと思います。今は私と娘、夫と息子、という体制なのですが、これはこれで話はややこしくなりそうです。


研究ならではのアンコンシャス・バイアスという難しいお題もあったのですが、考えてみると意外とありました。ただこれが”アンコンシャス”なのか”コンシャス”なのかは線引きが難しいなぁと思いますが。

モデル植物を前提とした考え方になってしまうため、非モデル植物についての研究に対する質問が無理難題になってしまいがち。どんな植物でも形質転換できると思うなよ。

→全ての研究の背景を理解することは難しいですが、ある程度の常識をもって柔和な態度で質問をしましょう(攻撃的と思われないように)。私は学生の頃、化石の研究者の方に「n=1でそこまで言ってもいいんですか?」と質問して激怒されたことがあります。今思い出すととても恥ずかしい...


RNA-seq解析のDEGの表をみているとよく知っている遺伝子で論文のストーリーを立ててしまう。予算や研究期間のこともあり、hypothetical geneに対しても平等に扱うことは難しいことも。

→予備知識があればあるほどそれに囚われてしまいますよね。これを解消する方法としてはアノテーションをつける前に発現パターンや発現レベル、配列モチーフの類似性等で分類して、RNA-seq以外の実験との関連性も踏まえて、候補を絞ってからアノテーション付けをすることかなぁと思います。RNA-seq単一で見るのではなく複数の実験結果と照らし合わせるというところがミソです。


マチ・ディルワース先生がご講演の中で挙げられた学術界におけるアンコンシャス・バイアスの具体例には「え、本当に?」と驚くこともたくさんありました。

女性応募者の推薦書は男性応募者のものと比べて短くなりがち。研究内容ではなく人間性を褒める。男性候補者の推薦状には“Outstanding”や” Excellent”といった優秀な能力を表現する言葉が使われることが多く、女性候補者には“Consientious”や”Hard-working”等の態 度を表現する言葉が多い、など。(参考資料:Trix and Psenka, Discourse & Society 2003, https://doi.org/10.1177/0957926503014002277)


シンポジウムの企画者に女性が入っていると発表者の女性の数が増える。(参考論文:Homma et al. Genes to Cells 2013, DOI: 10.1111/gtc.12065


論文をdouble blind (レビューアーだけでなく投稿者の名前も相互に見えないような状態)で評価させると女性がfirst authorの論文の採択率が33%上昇。(参考論文:Budden et al. Trends Ecol Evol 2008, DOI: 10.1016/j.tree.2007.07.008


他のパネリストの方々が共有してくれた事例において共感することも、なるほど確かにと思わされることも多々ありました。

・女性教員で学会の懇親会に出ていると『今日、子供さんは?』と聞かれる。

・2つの大学でポストを得るなんて無理だろうと思っていたけど、問い合わせてみたら案外いけた。

・産休育休で休む期間を延長できないかと大学にかけあったら意外とすんなり延長してくれた。

・フィールド調査では体力に余裕のある男子学生を連れていきがち(セクハラ等の問題発生を回避する意味もあるのかも?)。また予算が潤沢でない場合、宿の部屋割りの関係から女子学生を連れていけないなどの問題も生じたりする。


経験からくる思い込みの例は枚挙にいとまがないですが、自分にとっても他人にとってもマイナスにならないよう、言葉として発する前に一拍おいて考えることが、「アンコンシャス・バイアス」を悪者にしないためには必要だと思います。植物学会の『知って活かそう、アンコンシャス・バイアス』というタイトルは実に的を射ているなと感心しました。



今年は「アンコンシャス・バイアス」について考える年なのか、日本植物学会だけでなく日本育種学会および日本女性科学者の会のセミナーでもこの事例について取り上げられていました。育種学会の大坪久子先生の講演のあと参加者から出た質問についての大坪先生からの回答が、日本育種学会ホームページに掲載されています。


「自分の中にもアンコンシャス・バイアスがある」ということを意識して(文章的には矛盾を感じますが...)今後の行動に生かしていきたいと考えさせられました。




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